「今でたとえるならAKB48のようなアイドルですね」と伺って 埼玉ブルース第三十六回

誰が言ったか知らないが、訪ねてみれば確かに感じる魅力のご当地をさすらう「埼玉ブルース」。

道行く人々の手にはスマフォが握られ、誰もが時代に追い立てられている昨今
忙しないこんな時代だからこそ、たまには昔情緒に思いを馳せてみたいもの。

我らが埼玉県が誇るそんな歴史遺産の中でも、

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今回は静御前のお墓にお邪魔して来ました!
実は、数ある逸話とともに全国各地に点在する静御前の墓碑。
北は岩手から南は九州・四国に至るまで、さまざまな伝承を今に伝えます。

ここ久喜市もそんな言い伝えとともに墓所を守り続けている聖地のひとつ
特に、この栗橋は駅前という立地も相俟って、これからの暖かい季節には観光客も多いのだとか。

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なんでも、久喜市のなかでもこの栗橋駅周辺は、そのむかし静村と呼ばれていたのだそう。
全国的にも大変珍しい静桜(しずかざくら)など、今なお至るところにその名残りをとどめています。

これから控えるお花見の季節には、件の静桜や東屋の藤棚が咲き乱れ、
秋はイチョウの黄葉を楽しむことができるなど、年間を通して見ごたえは充分!

とはいえ、今の時期は、どれも少々寒々しく見えるもの。その中にあって、
青々と茂る健気なヤツデ。源氏のお膝元である鎌倉でもよく見られる
このヤツデは常緑低木で、ほかの草木が影をひそめる
この冬の時期にも見頃が続きます。

ヤツデは、その葉が古来より神饌(神への供物)や魔除けに用いられてきた、
日本の祭事には欠かせない植物。主に日陰に生えるという深緑は、
どこか在りし日の静御前のたおやかながら凛々しい姿を思わせます。

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早速お墓にお参りしようとして、ふと目を凝らした灯籠には、

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なんと源氏一門の家紋である笹竜胆がしっかりと刻印されていました。

一説には日本最古とも謳われるるこの家紋は、かつて武家社会の祖を築いた
源氏本家に伝わるもの。時代の寵児であった源氏の御曹司を絶えず
支え続けた愛妾を祀るのに、これほどの厚遇はありません。
この気遣いをひとつとっても、地元の方々の
並々ならぬ”御前愛”を感じます。

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そもそも静御前といえば、その名が日本史の教科書にも登場する著名な白拍子
その芸事の師匠でもあり、同じく白拍子として知られた母である
磯禅師ゆずりの美貌と才能で、早くから舞の名手として活躍します。

墓前には、そうした静御前の功績を称える説明板があり、その半生を
つぶさに知ることができます。片隅には、今までに静御前を演じた方々のお写真も。

これまでにさまざまな女優(時には俳優も!)によって、何度となくなぞらえられた
悲恋は、もしかしたら私たち日本人にとって最もなじみの深い悲劇かもしれません。

ちなみに、静御前は15歳にして舞の才能によって干ばつを救った
偉勲を認められ、時の天皇から舞衣をたまわったと伝えられています。
当時としては、まさに高嶺の花ともいうべき存在で、
「今でたとえるならAKB48のようなアイドルですね」と伺ってきましたが、

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ふと振り返った先には、なんとこんな千社札も。いっそタイムリーにも
ほどがある字面に、思わず激写してきちゃったりして☆

「まさかご本人なわけはない…」と思うものの、全国的に知名度の高い静御前
お墓の中でも立地や見どころともに申し分のない同地とあって、
完全に否定できないのがツラいところです。

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そこからお墓をはさんですぐ向かい側には静御前の伝承碑と、
その逸話にちなんで詠まれた歌が彫られた歌碑も。

江戸時代きっての名歌人であった坐泉がこの地を訪れた際に、
亡き静御前を想って詠んだ歌は、地元の人々のたゆまぬご尽力
よって平成の世になった現代でも、こうして拝むことができます。

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ちなみに、この伝承碑の方には、なんとバリバリの漢文が!
「えっ、こんなの読めない…」と肩を落としかけたものの、
久喜市栗橋観光協会によるリーフレットには、
きちんと書き下し文が掲載されていました(ほっ)。

曰く、「舞姫として干ばつから世を救い、頼朝の権威も恐れずに
『しづやしづ しづのをだまきくり返し 昔を今になすよしもがな』と
舞い歌った勇気と果敢な態度をあまねく見本とされた静女今ここに永遠に眠る」とのこと。

この「しづやしづ」とは、もちろんこの歌を詠んだ静御前本人をさした言葉。「をだまき」とは
紡いだ糸とそれによく似た花を咲かせる多年草のことで、かつて愛し合った
義経との甘い思い出を詠ったものです。

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お墓の裏手側にあって、この場所のシンボルともいうべき木彫りの人形の写真は、
静御前を模したものと伝えられているそう。

ここ栗橋には静御前のお墓のみならず、さまざまな伝承があり、
その面影が偲ばれます。

かつて静御前を葬った際に、ともに下向した侍女が弔いとして
杉の木を植えたという逸話も残っており、静杉と呼ばれていたそうな
江戸末期に起こった利根川氾濫の影響で、あえなく現存はしていないものの、
その代わりに植えられたというお隣のイチョウの年季はなかなかのもの。
このイチョウをして、奇しくも鎌倉幕府とのつながりを感じます。

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そして……こちらが地元の方々から愛される静御前のお墓。
さすがに立派なしつらえですが、それだけでなく手入れが隅々まで
行き届いているのがお分かり頂けるでしょうか?

前述のように、日本中に静御前の墓と呼ばれる場所がありますが、
その大半は人里離れて存在しているもの。このように市街地に存在するのは、
極めてまれと言えそうです。

同地は、鎌倉から平泉に向かう道中にあるとあって、
そこに住まう方々の感慨もひとしお。途中で義経討ち死にの知らせを
受けて思案に暮れたことから名付けられた思案橋や静椿(利根川対岸の古河市)など、
どこか信憑性を思わせるゆかりの地に囲まれています。

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「舞姫静に合掌」と書いてありますが……そんな指示を仰ぐまでもなく、
あたりには思わず手を合わせたくなる厳粛な空気が漂います。

この地を訪れるのは、静御前のファンやお花目当ての観光客だけでなく、
芸事を志し、その道の精進を誓う方も多い」のだとか。今に伝わる数々の
逸話をして、まぶたに浮かぶような舞い姿が、その足をここに運ばせているのかもしれません。

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ちなみに、先ほどのお墓は二代目に当たるそう。初代の静御前のお墓がこちら。

江戸時代後期に中川飛騨守忠英によって建てられたと伝えられていて、それから
時代を移した今では雨風を凌いで風化を防げるようにと、ここにも地元の方々による
工夫が凝らされていました。

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その傍らには、あえなく非業の死を遂げた義経と静の御子の墓も。

ここには、地元の方々によってほぼ毎週欠かさず献花があるそうで、
この日も花を供えに来た方のお姿を見ることができました。
今なお悲恋として知られる二人の心模様に、
春めく今こそ思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

【今回取材させて頂いた静御前の墓】

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